バルガス=リョサ 『緑の家』(岩波書店)、『ラ・カテドラルでの対話』(岩波書店)、『都会と犬ども』(新潮社)、『フリアとシナリオライター』(国書刊行会)、他 – 野谷 文昭による作家論/作家紹介

書評総合
バルガス=リョサ 混沌より秩序を?
『緑の家』の制作をめぐるエッセー、『ある小説の秘められた歴史』の冒頭で、バルガス=リョサは、小説を書くことは順序が逆のストリップティーズであり、すべての小説家は控え目な露出狂なのだ、と述べている。彼によれば、小説家はまず、「自分につきまとい自分を苛むデーモン、自分自身のもっとも醜悪な部分すなわちノスタルジー、罪、恨み」を見せること、言い換えれば生身の姿をさらすことから始め、小説を完成させたときには自分でも最初の姿が分らないほど衣服をまとっているというわけである。一九七九年、初来日の折に、彼は山口昌男氏と対談を行なっているが、山口氏が小説家とストリッパーの対比に異化効果の狙いを見ているのに対し、バルガス=リョサ自身は、それがもっと直截的な比喩であると同時に彼の一種のオブセッションであることを明らかにしている。
『緑の家』(岩波書店)著者:M.バルガス=リョサ
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フロベールを論じた評論の中で、彼は、「小説家は、ただ自分の個人的歴史(イストワール)を出発点として、物語(イストワール)を考え出すのである」と述べているが、箴言とみなせるほど特別な考え方ではなく、たとえばガルシア=マルケスも、「個人的な経験に完全に結びついていない物語を書くなんてことはできない」と明言している。だが、バルガス=リョサは、この出発点としての個人的経験に執拗にこだわっているように見える。というのも同じ本の別の個所で、「小説家は、無からではなく、自分の経験とのかかわりにおいて創造するということ、虚構のレアリテの出発点となるのは、

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