荻原眞子『いのちの原点「ウマイ」』(藤原書店)、竹倉史人『土偶を読む 130年間解かれなかった縄文神話の謎』(晶文社) – 鹿島 茂による読書日記

書評総合
吉本隆明、「山の神」、土偶
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吉本隆明の『共同幻想論』の読み直しを始めて早三年。吉本は事実認識のレベルでの誤りはあっても、最も根源的なところでは「ほぼ正解」を出している気がするが、その吉本が「対幻想論」でこんな大胆な仮説を披露している。すなわち、狩猟採集と初期農耕の時代には人間と植物の再生産・生成過程は同一視され、対幻想は子を産む女性に集中されていたがゆえに共同幻想と対幻想も同一視されていた。しかし、穀物栽培導入に伴って、植物と人間の再生産・生成過程が「ちがう」と認識されると、共同幻想と対幻想との「ちがい」も意識化され、対幻想そのものが時間性の根源になったのだ、と。これをパラフレーズすると、穀物農耕開始以前にはセックスと出産が論理的に結びついていなかったので、人間と植物の再生産・生成過程は同一視されていたが、本格農耕開始で同一視が破れたことにより、初めてセックスと出産が結びつき、対幻想そのものが独自の時間性をもつ幻想へと変化したということになる。本当かしら? にわかには信じられない仮説だが、吉本の詩人的直感は侮れないので、実証的に検証してみなければならない。ということで手に取ったのが荻原眞子『いのちの原点「ウマイ」――シベリア狩猟民文化の生命観』(藤原書店 二六〇〇円+税)。十七世紀、モンゴルの軛(くびき)を断ち切って民族的自立を果たしたロシアはコサックを先頭に毛皮を求めてシベリア進出を試み、ついでピョートル大帝のもと大規模な学術探検隊が組織されたが、探検隊はシベリア各地でウラル・アルタイ語系の狩猟採集民の諸民族と出会い、綿密な民族誌を残した。日

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