非常識に生きる

書評総合
非常識に生きる自由
非常識を唱える側の人たちは、「危ないことはするな」「何かあったら心配」「未来が損なわれるよ」など、思いやりの言葉をかけてくる。しかし、心配とは別の意図を持っている。「みんなやりたいことを我慢しているのだから、お前も我慢しろ」という同調圧力で、自由な僕らの足を引っ張ろうとしている。
みんな一緒であろう。突き抜けてはいけない。ルールから外れて、動き出さなければ安心。それらの圧力が、日本社会に蔓延している常識の正体だ。
 
常識に従い、大きな夢も欲も持たず、同調圧力に逆らわない生き方が楽だというなら、それでいい。人生における「流れ」の種類は無数にあり、自然に乗れるなら、どんな「流れ」でも受け入れればいい。ただ、「流れ」に従うことが常識的か非常識であるかを判断するのは自分自身だ。常識を守って生きる自由だけでなく、非常識に生きる自由が、もっと当たり前に認められるべきだ。常識はいつだって、僕たちの思考を縛ろうとする。
 
自分のやりたいことを見つけ出し、大きなチャンスを掴むには、常識だけでは足りない。知識とか人脈とか運ではなく、非常識への踏み出しが大事だ。リスクをとって、非常識な振りのできる人が最後には勝つ。それが、常識なのだ。
 
仕事は「食っていくため」にするものではない
普通のサラリーマンに、なぜ働くのですか?と聞けば、ほとんどは「生活のため」「家族を養っているから」と答えるだろう。しかし、食べることが目的なら別に働かなくても叶う。嫌なことをしなくてもフードバンクを利用したり、安い総菜やパンで空腹は充分にしのげるはずだ。
 

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