『愚行の賦』(講談社) – 著者: 四方田 犬彦 – 張 競による書評

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『愚行の賦』(講談社)著者:四方田 犬彦
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無我にたどりつく迷宮めぐり
愚かな行為は政治の世界から日常生活まで、いたるところで目にすることができる。にもかかわらず、これまで正面から論じられたことはほとんどない。それだけ語るのが難しいだろうが、この難題に挑戦する本はついに現れた。検討の対象として、文学作品がおもに取り上げられたのは、フィクションの世界において愚かさはもっとも透明感のある形象として描き出されているからだ。前半で論じられたのは、十九世紀のヨーロッパ文学や哲学において、愚行なるものがどのように思考され、あるいは表象されてきたかである。興味深いことに、愚行の表象を読み解いていくと、従来とまったく違った作家像が浮かび上がってきた。ボードレールの場合、比類なき修辞や寓意によって表現されたのは近代人の絶望的な孤独だけではない。彼は俗衆の無知と愚昧を憎悪しながら、人間の生の根底に横たわっている愚行への衝動を象徴的な手法で描き出した。ブルジョア社会の健全な市民の感覚に照らし合わせれば、フローベールもボードレールと同じように生涯を愚行に塗れて生きた。ただ、フローベールの場合、他人の愚行を逐一観察し、微に入り細を穿って描いたところに違いがある。ボードレールは己の生き方を悔恨と恥じらいとともに作品に投影させたとすれば、フローベールは対照的にブルジョアの愚劣に対する嫌悪を露わにし、それを徹底的に暴露したところに特徴がある。ただ「ボヴァリー夫人はわたしである」という作家の告白からうかがえるように、フローベールは「俯瞰的に」愚かさを見ているわけ

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