『トランス=アトランティック』(国書刊行会) – 著者: ヴィトルド ゴンブローヴィッチ – 豊崎 由美による書評

書評総合

『トランス=アトランティック』(国書刊行会) 著者:ヴィトルド ゴンブローヴィッチ
物真似がうまい、やたらやかましいタレントがいるじゃないですか。柳沢慎吾。たとえば、あの人になってみるわけです。柳沢慎吾の落ち着きのない目で世間を眺めてみる。柳沢慎吾のとりとめもない精神で世界について考えてみる。柳沢慎吾のけたたましい口で喋ってみる。それって、かなり世界の見方、感じ方に変更を強いられるはず。で、小説を読むってのは、そういう経験を指すのではないかと。自分とは違う精神構造や世界観の持ち主の主観を一度通した物語を生きてみる。そのことによって、それまで当たり前だと思っていたり、現実だと思っていた、自分なりの“確信”に揺らぎが生じる。優れた小説には慣習や常識で曇った目を浄化する働きがあるわけです。たとえば、全体主義っていう、個人の生活や考えは国家全体の利害に従うべきだっていう思想がありますよね。ある種の共産主義体制とかファシズムとかを、わたしなんかはすぐ思い浮かべますけど、このテーマを扱っても、当然のことながら作家によってずいぶん描き方は異なってくるわけです。ロシアのソルジェニーツィン、中国の莫言(モー・イェン)、ドイツのケストナー。それぞれ面白いくらいタッチが違います。そして、わたしは小説というものは、テーマではなく、どちらかといえばそうしたタッチの差異こそを楽しむべき芸術だと思っているのです。今回紹介するゴンブローヴィッチなんかも、両大戦間期のポーランド・ナショナリズムを批判した『フェルディドゥルケ』によって過剰な政治的読解がされたあまり、なかなか広く自由に読ま

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