『おやときどきこども』(ナナロク社) – 著者: 鳥羽和久 – 武田 砂鉄による書評

書評総合

『おやときどきこども』(ナナロク社) 著者:鳥羽和久
経験は万能ではないと子どもは教えてくれる
子どもを思うがままに扱おうとする親がいる。その手の親からの言葉を長年恨みに思っている人は多い。そんなことしちゃダメ、ではなく、そんなことをしたらダメな子だと思われる、と他者の目線を身勝手にアレンジして、行動を制限する。福岡で学習塾を開いている著者は、子どもたちと対話を重ねてきた。悩みに答えるのではなく、その悩みの輪郭とはどういうものなのか、共に悩む。答えが出たとしても、その答えが、親の意見や周囲の空気によって作られたものではないかと丁寧に疑っていく。
いま多くの子どもたちは、大人たちから意志と責任を押しつけられて、疲弊しています。彼らの意志はすっかり傷ついてしまっていて、身動きが取れなくなっています。
そもそも意志や責任って、自分の中に浮上してくるもの。それなのに、「大人が子どもに『責任』を取らせるための罠(トラップ)」として使ってくるのだ。著者との三者面談の場で、親から「この子は現実の厳しさを知らないんです。いつも絵ばっかり描いて」と言われた高校3年生のマナさんが、「ちがう。そうやっていつもあなたが言う『現実』を私は見下しているの。私にとっては絵を描くほうが現実なの」と切り返す。いやはや、痛快だ。親は子どもより長い時間を生きているので、経験を振りかざせば、あれこれ納得させられると思いがち。しかし、経験なんてものは、その人が、その場で、考えに考え抜いたことで得られるものなのだから、他人の経験って、そんなに意味を持たないことも多い。でも、親は特別でしょ、と思ってしまう。「親の『わかっ

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