『三人で本を読む―鼎談書評』(文藝春秋) – 著者: 丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和 – 山崎 正和による後書き

書評総合

『三人で本を読む―鼎談書評』(文藝春秋) 著者:丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
閉じられて開かれた会話
対談であれ鼎談であれ、もつと規模の大きい座談会であれ、難しい要諦はただひとつ、出席者がつねに二重の会話を交はさなければならない、といふことだらう。生身の人間の会話である以上、それは何よりも出席者どうしのあひだで、こはばりのない自然な気分で交はされねばならない。対話の効用は、出席者がそのなかで新しい発見をすることにあるから、大切なのはたがひの謙虚さであり、心の柔軟さだといふことにならう。いひかへれば、座談会に出る人間はその席で自分を変へる余裕を持たねばならず、一座の外からあまり硬直した立場を持ちこんではまづい。その意味で、座談会の場所は閉じられた空間でなければならず、会話はいくらか密談の性格をおびることになる。昔、中国の庶民の喧嘩は、たいてい見物人をあてにして行なはれ、当事者は脊中を向けあつて、外に向かつて立場を主張するのが普通であつた。座談会は喧嘩とは正反対のものであるから、これは、よき座談の会話がどういふものであつてはならないかを、たくまずして示してゐる。出席者が雑誌の讀者をあまりにも意識して、もつぱら外に向かつて叫ぶのは、はしたないだけではなくて、思索の自由のために有害なのである。とはいふものの、座談会はやはり讀者のためにするものであり、出席者だけのひとり合点や、自己満足は許されない。学術的であれ藝術的であれ、仲間うちの隠語でしやべつたり、楽屋落ちでほくそ笑んだりするのは、讀者にたいして無礼であらう。この点で、座談の席は開かれた空間でなければならず、会話は出席者の頭を越

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