『鼻に挟み撃ち 他三編』(集英社) – 著者: いとう せいこう – 大澤 聡による書評

書評総合

『鼻に挟み撃ち 他三編』(集英社) 著者:いとう せいこう
引用たちの創発性
アレントはベンヤミンの生涯を数行に圧縮するにあたって、「かれの学識は偉大であったが、しかしかれは学者ではなかった」という一文を先置し、以降はこれと完全に同型の構文(…, but he was no AAA…)をセミコロン(;)で連接させながら次々と反復、「神学者ではなかった」「翻訳家ではなかった」「文芸評論家ではなかった」「詩人でも哲学者でもなかった」……と並べ立てていく(『暗い時代の人々』)。贅するまでもない。通有的なカテゴリのいずれにもきっかり分類しえぬベンヤミンの過剰さを顕揚するために、である。しかし、この否定神学型の定義作業の只中、否定形でない文が一つだけ紛れ込む。こうだ。「生まれながらの文章家であったが、一番やりたがっていたことは完全に引用文だけから成る作品を作ることであった」。当該部分のみ構文上の統一を欠く。前後を鑑みるに、「文章」執筆と「引用」行為の対立を読取るべきは明らか。オリジナルと非オリジナル。クリエイティブと非クリエイティブ。むろんアクセントはここにはない。だがそれにしても。ときに「引用」は強靭な創発性を発揮する。なかんずく芸術の各種領域において。そのことを私たちはよく知っている。ベンヤミンに限らず、「完全に引用文だけから成る作品」を何度も夢想し、実際に試行してもきた。本誌一九九二年五月臨時増刊号『柄谷行人&高橋源一郎』にいとうせいこうが寄せた「「カール・マルクス」その可能性の中心」もまさに「完全に引用文だけから成る作品」

リンク元

コメント

タイトルとURLをコピーしました