『法師蝉』(新潮社) – 著者: 吉村 昭 – 森 まゆみによる解説

書評総合

『法師蝉』(新潮社) 著者:吉村 昭
脱皮の季節
長女が高校、長男が中学、次男が小学四年生になったので、中仕切りにみなで上州の山ふところの温泉に出かけた。間のびするためだけの旅だから、ガイドブックも持たず、昼ごろ家を出たが、車でない身には、電車やバスを待つ時間ばかりが長く、宿につくだけで精一杯だった。ひたすら風呂につかり、本を読んですごした。こういうところでよく出会うのは、元気な中年女性のグループである。いつも思う。彼女たちが大騒ぎで何品ものご馳走を平らげる間、家で夫たちは何を食べているのだろうかと。旅に携えてきた吉村昭『法師蟬(ほうしぜみ)』(新潮文庫)の一節が浮んでくる。
「夕食は、冷蔵庫に煮しめが入っていますから、それですませて下さい」(「海猫」)
「昼食は外ですると言いましたね。御飯がポットにあるから、夜は鮭缶をあけてすませて下さい」(「秋の旅」)
夫を置いて妻たちが旅に観劇に、出かけるようになったのはいつの頃からか。女子高校の友人の母親たちが、父親を置いて海外旅行することを聞いて驚いたのはもう二十数年も前である。小さな歯科医院を夫婦で切り盛りしていた私の家では考えられないことだった。今ではこうした「ナイスミディパス」の常連は、どんな山間の秘湯にも、日に何本も電車の通らない漁村にもいて、都会的な華やいだ服装であたりを闊歩している。かと思うと、その上州の宿では定年をすぎた夫婦が、浴衣に丹前で黙々と食事をしていた。どうみても豊かな沈黙という感じではない。ただ食べ物で口を動かしているだけである。彼らは何のために旅に出て来たのだろう。
そんなことを話してみたところで妻はなん

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