お母さんという女 益田ミリ

小説の書評と感想
「お母さんチェック」は実母より自分の方が当てはまってる気がする。ビニール袋を小さく折りたたんでカバンに入れてあるし、みのもんたならぬマツコデラックスのおすすめスイーツを買いがちだし、お尻がすっぽり隠れる上着が好きだ……子どもが子どもとは言えない年齢(成人というより中年)になっても「人の少ない(危険な場所)に行ってないか」「寒くしてないか」「ちゃんと食べているか」が気になって電話してしまう‘お母さん’子どもに電話する(構いたい)理由としての言い訳。長年染み付いた習性が抜けきらない。ちょっとした使命感。そこまで本気で心配しているわけじゃないけど、心配してないこともない。わたしの‘お母さん’も、実家の台所の片隅に、両手に抱えきれないほどたくさんの大小様々なタッパーを蓄えている。そこに手作りの梅干しや貰い物の佃煮を小分けにしてくれる。『お母さんという女』は子育て現役を退いた、だけど永遠に母親っていう‘後期お母さん’をテーマにしている。子どもは巣立ち、親の手を離れた。距離も離れている。‘お母さん’はお母さんで自分の生活があって、友達も親戚もいて、趣味も日常の細々とした用事もあって、わりと忙しい。懐かしの歌謡曲とか、ドラマの再放送とか、温泉旅行とか、チラシや紙パックの手芸とか。最大公約数ぽい‘お母さん’の姿は、実母のようでもあり義母らしくもあり(姑は手芸好き)わたしのようでもある。      『誤字脱字のアナログな修正』図書館で借りた本に書き込みがしてあった。  サンダーアンダギーサンダーアンダギーサーターアン

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