私が語りはじめた彼は 三浦しをん

小説の書評と感想
村川融は語らない。彼を語る人たちは饒舌。語り言葉が人物像だけでなく時期や時代をも描き出ししている。憎らしいほど巧い。村川融のどこにそんな魅力があるのか。具体的にここが素晴らしい、というのではなく、容姿でも人柄でもなく、突然強く掴まれた腕の痛みのように否応無しに魅了されてしまうらしい。特定の人にだけ強く作用する芳香のようなものだろうか。嗅覚のない大多数には感じ取れない。鼻がきく人には無視できない。男も、女も。  渇愛、愛執という言葉を思い出した。愛は執着であり、煩悩なのだと。村川融への愛執に惑う人たちが多くの言葉を持つのに対し、村川融が発する言葉は貧弱だ。彼自身は単純な男なのかもしれない。振り向いて欲しい、自分にだけ目を向けて欲しい、自分にだけ言葉が欲しい。 乾いた喉に甘露を。   求める者には村川融の両腕に満々たる水瓶が抱えられているように見えるのかもしれないけれど、実のところ、誰も中を覗いてはいない。それぞれが閉じた想いの殻にうずくまっているよう。ボールは投げられず、受け取られもしない。語らない村川融。語る「私」。語り合えない寂しさがある。冒頭の古代中国のエピソードは原典があるのかな?浮気した寵姫と間男が拷問されるのは古代中国あるあるネタだけど、このタイプは読んだことない。人気ブログランキング    にほんブログ村       
Source: 小説

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