『マリアの気紛れ書き 森茉莉全集 第5巻』(筑摩書房) – 著者: 森 茉莉 – 森 まゆみによる解説

書評総合

『マリアの気紛れ書き 森茉莉全集 第5巻』(筑摩書房) 著者:森 茉莉
ナラノシカノカズハ――父の娘、茉莉
高校のころ、森茉莉の『枯葉の寝床』や『恋人たちの森』に入れ込んだ時期がある。正直にいうと友人の影響だ。貴族趣味のキタバタケミキは、廃園で詩集をひもといているかと思えば、イギリスの少年のような半ズボンで捕虫網を握っていた。オスカア・ワイルド、ビアズレエ、ボオドレエル、黙阿弥がわれらが太陽で、森茉莉にならってセエヌやボオトといった表記で手紙をかわした。香水のサンプルを集めたり、今日は歌舞伎座、明日は国立劇場と、安い学生券で見歩いたものである。最近、森茉莉を再読しているのは、地誌として千駄木町で育った彼女のエッセイが役に立つからである。じつに邪(よこしま)な動機なのについ面白くてひきずり込まれる。自ら「なめくじ書き」というように、話はどんどん飛躍して、同じ頁に長嶋選手の引退とバスチイユのマリ・アントワネットが出てきたりする。才気があり、テンポがあり、美しい言葉に満ちている。話がずれていって面白い点ではまあ、『気まぐれ美術館』の洲之内徹と双璧だろう。そして「出るぞ出るぞ」と思っていると、案の定、鷗外が出る。「そら出た」とこれはちょっとくすぐったい快楽である。「ひともする古都巡礼を」というエッセイでもついに京都に行かず、父への懐旧の情で押し通してしまった。しかし、森茉莉は「鷗外を鼻先にぶらさげた女」という評は当らない。そうした人間関係のバランス感覚はむしろ欠如している。つまり人や自分を世間相場の名声や富で測ることは根っからできないのだ。パーティでの身の置き所に迷うように、文豪鷗外

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