『新敬語「マジヤバイっす」: 社会言語学の視点から』(白澤社) – 著者: 中村 桃子 – 武田 砂鉄による書評

書評総合

『新敬語「マジヤバイっす」: 社会言語学の視点から』(白澤社) 著者:中村 桃子
〈丁寧さ〉より〈軽さ〉が求められる時代のことば
ことばは変化していくものだと考えているので、正しい使い方を作法として強要し、誤った使い方をする人に対して、強めの説教をぶつけていく様子が昔から苦手である。「ことばは自然に変化するのではなく、社会のイデオロギーを反映して使われ、変化している」とする著者が探求したのは、「っす」。「面白いです」が「面白いっす」になるアレだ。「うっす」「そうっすね」「ヤバイっす」などの「ス体」は、ガテン系・体育会系の若者ことばと言われてきたが、果たしてそうなのか。そもそも、「です」は丁寧に伝える敬語。では、「っす」には、敬う意味が残っているのか、それとも消えているのか。男子大学生の会話にある「っす」を分析すると、「親しい丁寧さ」が立ちあがる。親しいのに丁寧、「男性集団の階層性」があった。かといって、新入社員が先輩に「了解っす」と言えば叱られる。正しい敬語があるとして、この「っす」の正しくなさはどこにあるのか。auのCM「鬼、登場」に複数の「っす」が登場することに着目、この「社会的意味は、〈丁寧さ〉よりも〈軽さ〉」だとする。今や、「っす」は、「おつかれさまっす」のように、「です」を短縮しただけではなく、「です」を含まない「こんにちわっす」など、ただただ付加しただけの言葉にもなっている。テレビで水森亜土が「そうすか?」と繰り返していた事例をあげながら、男性が使うことの多かった「っす」が、男らしさから離れ、「自分にしっくりくる〈新しい女性性〉を表現しているのではないだろうか」と

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