『静かな生活』(講談社) – 著者: 大江 健三郎 – 野谷 文昭による書評

書評総合

『静かな生活』(講談社) 著者:大江 健三郎
大江健三郎ほど自らの作品について多弁に語る作家は、世界的にも珍しいのではないだろうか。ラテンアメリカにもバルガス=リョサの例があるものの、大江の比ではない。一般読者や批評家にとり、彼の言葉は作品を読み解く助けとなる一方、それを知ったことによって読み方を方向づけられてしまうという、ある種の強制力も生まれてくる。たとえば、富岡幸一郎のインタビューに答えて、彼は次のように言う。
小説は、大きい目で見ると、すべてコンバージョンの物語だと思います。ある人間が苦難を味わって、そして以前のものではない人間になるということを、小説のーつの形だと僕は考えていて、その方向でこの十年ほどの仕事を続けてきました。(『作家との一時間』)
正鵠(せいこく)を射た自己批評である。もちろんこのくらいのことなら読者にだって分かるのだが、本人の口から発せられると、何か、お墨付きをいただいた気がしてしまうのである。だがそんな姿勢ではいけない。たまたま結論が一致したとしても、読者は自由な立場からそこへ至らなければ、彼の本を読む意味がない。さて、肝心の『静かな生活』は、最近書かれた短編六つから成る連作小説である(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1991年)。大きな枠組みでいえば、『新しい人よ目覚めよ』や『「雨の木(レインツリー)」を聴く女たち』にも連なっている。これまでは語り手である作家の「僕」が実生活および創作上の危機(ピンチ)に遭遇し、それを乗り越えて「回心」に至る過程が描かれてきた。その際、実生活では脳に障害がある長男イーヨーが、また創作においてはダ

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