『つげ義春日記』(講談社) – 著者: つげ 義春 – 武田 砂鉄による書評

書評総合

『つげ義春日記』(講談社) 著者:つげ 義春
混沌をそのまま書き記す漫画家の“赤裸々”な日記
かの漫画家が昭和50年から55年にかけて記していた日記が初文庫化された(単行本は昭和58年に刊行)。なぜ日記を書いたか。「あれを仕事として引き受けたのはほんとうに金が無かったんです」「もうお金欲しさで書いちゃった感じですね」息子が生まれ、妻をねぎらいながら、慣れない子育ての日々が続いていた。ある時、妻が体調を崩し、医師が別の医師に「これはGですね、Gに間違いないですね」と言ったのを聞いてしまう。案の定、癌だった。妻の闘病、疲弊する育児、金の工面を繰り返すなかで、徐々に自身の精神が蝕まれていく。「川原に松の大木が一本聳えている。それは首を吊るのに恰好の枝ぶりだ」。自分が自分として存在する理由を探しながら、それが見当たらないことに焦る。「いつにない衝撃的な不安でいても立ってもいられない激しさだ」(昭和55年5月30日)。「一日雨。今日は不安なし」(5月31日)。「多少不安があるが外出してみた。近所の中華屋で焼そば食べ、本屋へ行くつもりが途中で調子悪くなり、調布の駅の付近から引き返してしまった」(6月1日)。日々、自分との付き合い方が変わる。受け入れたり、受け入れられなかったり、諦めたり、持ち直したり。あとがきに「隣りは何をする人ぞ、覗き趣味的に見て、蔑んだり優越を感じたり、あるいは多少なりとも共感して戴ければ幸い」とある。赤裸々、ってスキャンダラスな時に用いられがちな言葉だが、本当は、ただこうやって思いの変遷を吐き出した状態のことを言うのだろう。「明日『読書人』の

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