『猫を棄てる 父親について語るとき』(文藝春秋) – 著者: 村上 春樹 – 鴻巣 友季子による書評

書評総合

『猫を棄てる 父親について語るとき』(文藝春秋) 著者:村上 春樹
村上春樹「猫を棄てる」をめぐって
『1Q84』を境に、村上春樹の小説では親子関係の描かれ方が変わった。それまで、親子関係は表立って詳細に描かれることはなく、仮に親子が登場しても、『ダンス・ダンス・ダンス』のように、十三歳の娘が写真家の母に放置されていたり、『国境の南、太陽の西』のように、裕福な「僕」が愛車BMW320を駆って青山の名門幼稚園にお迎えにいくのが、親子のふれあいだったりした。パターナリズムの影がいきおい濃くなるのは、『海辺のカフカ』だ。主人公の少年が実父から、「いずれ父を殺して母と姉と交わることになる」というオイディプス神話的呪いをかけられる。とはいえ、父と息子の関係が直接的に縷々描かれたわけではない。しかし、「父」は村上作品のそこかしこにいたのだ。作者自身の父の幻影として。「文藝春秋」に寄稿された村上の自伝エッセイ「猫を棄てる」を読めば、自然にそう感じるだろう。作者の実人生のなかにフィクションの種子を見た、あるいは、小説のなかに作者の体験の投影を見た――そう虚心に思えるぐらい、このエッセイは、書き手の韜晦の感じられない(春樹節といわれる比喩表現も、かつてのトレードマーク「やれやれ」も、翻訳調と評される気障なセリフも出てこない)実直な「告白」として読めるのだ。二十七ページのエッセイの大半を占めているのは、父から聞いた戦時中の中国での凄惨な体験や、父の履歴、そして父との「ありふれた日常の」記憶である。冒頭に、村上少年が父と野球を楽しむ一葉の写真が掲げられ、猫にまつわる不思議なエピソードがつづく。村上

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