『少女だった私に起きた、電車のなかでのすべてについて』(イースト・プレス) – 著者: 佐々木 くみ – 武田 砂鉄による書評

書評総合

『少女だった私に起きた、電車のなかでのすべてについて』(イースト・プレス) 著者:佐々木 くみ
魂を奪う「犯罪」を軽視、放置するな
痴漢被害を聞いた途端、「でも、冤罪もあるよね」と知った口をきく人には、「痴漢がなくなれば冤罪もなくなるよね」とぶつける。痴漢と痴漢冤罪はライバル関係ではない。実際の件数も知らずに謎めいた比較を続ける現状は、引き続き痴漢被害が軽視されている証左ではないか。いまから10年以上前、12歳の女子中学生・クミが6年間もの間、山手線で痴漢被害に遭い続けた経験を小説として描いた作品は、まずフランスで「Tchikan」と題して刊行された。「私には、自分の国を去りたい理由があった」と思わせるほどの、絶望的な日々だった。痴漢に触られた後、「何か恐ろしいものが、私の身体の中に広がっていき、永遠に消すことができないような気がした」。家に帰り、母に打ち明けるも、「あなたも悪いのよ、わかってる?」と返ってくる。繰り返し痴漢に遭っても、もう母には切り出せない。「今日? 特に変わったことはなかったよ。ママ、いつもどおりだったよ」厳しい校則のある保守的な学校、加えて、「元気ではつらつ」とは対極の表情をした自分に、痴漢が忍び寄る。時に、後をつけられ「ねぇ、僕を君のパパにしてくれない?」と言われ、時に耳元で「ありがとう」と囁かれた。クミの頭には、何度も繰り返し、自殺という手段がよぎってしまう。大学に入っても痴漢は止まず、先生に申し出ても「男なんてみんなそんなものだよ!」と返ってきた。絶望に絶望がかぶさると、人間は麻痺する。その麻痺を狙って近づいてくる人間がいる。絶望を伝えても、気のせ

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