『もののたはむれ』(文藝春秋) – 著者: 松浦 寿輝 – 出口 裕弘による書評

書評総合

『もののたはむれ』(文藝春秋) 著者:松浦 寿輝
“俗”に身を寄せたリアリズム 本質的な詩人性を下町人間の“歯切れ”と“啖呵”で隠す
私自身、男の夢の中でしか生きられない“女精”を主人公にして、けっこう長い小説を書いた人間なので、こつみたいなものを知っているわけだが、“超常小説”はリアリズムが命だと思う。徹頭徹尾、リアリズムで押し通さないと、第一、読んでもらえない。夢みたいな話なんぞ作ってみても誰も相手にしてくれる気づかいはない。この短篇集の創り手は、そのあたりのことは百も承知とおぼしい。舞台装置も道具立ても、主人公や語り手の心の動きも、いくつか例外はあるにせよ、リアリズムで貫いている。「そもそも陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地の南側と言ったらいいのか、新宿御苑の東側と言ったらいいのか、大京町、左門町、住吉町、舟町、荒木町といった古風な町名が残っている新宿区のこの辺りの一角は」とか、「常磐線の南千住駅の裏手の細い露地が入り組んだ界隈は」とか、「有紀子は駅から来る途中のスーパーで買ってきた猫の餌のマグロの缶詰を開けて中身をありあわせの器に移してやり、三匹ががつがつと食べるさまをしばらく見物し」――おおむね、そういう調子だ。散文詩ふうでない、といってもよく、思いきり“俗”に身を寄せているといってもいい。その上で、たとえば隆司君という“鬼太郎”を登場させる(「千日手」)。大京町、左門町、住吉町の界隈の、ある将棋倶楽部の常連で、

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